2020-04-02 第201回国会 衆議院 消費者問題に関する特別委員会 第3号
十七屋というのは、当時、今の日本橋、瀬戸物町にあった飛脚問屋ということでございまして、この飛脚といいますと、今で言う情報伝達、物流、これを担っていたということであります。全国津々浦々にこの飛脚さんというのは飛んでいくわけでございまして、そういったことでございますから、そういった方からまずこのはやり病というものを引き始めた、こんな文献が残っているようであります。
十七屋というのは、当時、今の日本橋、瀬戸物町にあった飛脚問屋ということでございまして、この飛脚といいますと、今で言う情報伝達、物流、これを担っていたということであります。全国津々浦々にこの飛脚さんというのは飛んでいくわけでございまして、そういったことでございますから、そういった方からまずこのはやり病というものを引き始めた、こんな文献が残っているようであります。
実は本日、四月の二十日は、明治四年に飛脚制度に替わって郵便制度が創立されたかつての逓信記念日、今は郵政記念日でございます。世界に先駆けて、郵便サービスだけではなく、この金融のユニバーサルサービスを明治以来培ってきた我が国のこの取組、まさにそれが今国際法において金融包摂という理念で条約において定められたということは、私は意義深いと、大変意義深いものであると考えるところでございます。
そもそも郵便というのは国の礎となる情報通信でございますから、飛脚の時代から始まって、まずこの国の機能の基礎となるものであります。 それに対して、私は、先ほど申しました、日本の様々な優れたものは国際展開ができるんだと。これは、一つが郵便のパッケージ輸出であります。それから、実は水道、下水道の技術、これも世界で最も優れたもの、システム持っているのは我が国です。それは自治体が持っています。
○自見国務大臣 明治四年以来の、先生御存じのように、郵政三事業、元祖はイギリスでございまして、ビクトリア女王のグラッドストーンとディズレーリと言われますけれども、グラッドストーンが郵便貯金制度を、郵便というのは、御存じのように、以前は貴族、王侯が飛脚を使っておったわけでございますけれども、これを国民に広く利用していただくということで、当時あった飛脚の会社を全部国が買収しまして、そうしますと、料金が安
○自見国務大臣 斉藤先生、グラッドストーンが郵便をつくったとき、それまでは、日本にも江戸時代は飛脚というのがございましたね、大名飛脚とかなんとか。結構お金が高いんですね。一般庶民は余り利用できなかったんですよ。ところが、技術が産業革命で近代化するとき、その飛脚の会社をどんどんどんどん国家が買収しまして、結局、国が郵便事業を始めたんです。そうしますと、たくさんの、国ですから料金を均一にできます。
昔も、明治期以前には飛脚というプライベートなサービス業者がいたわけですが非常に高価なわけです。それを、全国に郵便局を整備することによって、それをネットワーク化することで非常にコストダウンを実現することができ、これが通信のインフラになったわけです。 当時の逓信省は電気通信もやっておりましたが、その総合的な通信基盤をつくるために非常に大きな努力をされてきたわけです。
したがいまして、佐川急便さんの方でこの特別割引を使った、ある意味では我々にお出しになるものについて、飛脚ゆうメールというようなことをたしか呼んでおられると思いますけれども、これは佐川急便さんだけではなくて、ほかの同じような大手のお客様でも同じように名前をつけられて、何とかゆうメールということで私どもにお出しいただいている例もございます。
飛脚の時代から、今の物流、交通。馬、かご、自転車、自動車、新幹線、飛行機、ロケット。固定電話から携帯電話。この進歩というのは、百年前だれが想像したでしょうか。 そういうことを考えますと、現状維持だということを断定できる人はいないと思います。さまざまな変化、それにどう対応していくかということが我々に課せられた責務じゃないでしょうか。
前島密氏が当時は飛脚という制度、郵便の、民間でやっていたわけです。しかし、その民間を国営にしようという議論と、いや、国営よりもやっぱり民間に任せた方がいいという議論が百三十年近く前からあったということを聞いております。 その民営化論者が、和歌山の津波を妨害して、津波の被害を恐れて、いつ津波が来るか分からないといってあの堤防を、自らの私財をなげうって和歌山の津波を防ぐためにあの町で堤防を造った。
前島密のときは飛脚よりも国営の郵便局がいいだろうということでやったわけですが、だんだん時代も変わり、民間の力もついてきた。そういう時代におきましては、民間にできることは民間にやってもらった方がいいと思っております。
日本の場合には、先ほども話が出ておりますが、特定郵便局制度というのがありまして、諸外国におくれをとっていたものですから、明治四年に飛脚制度を新式郵便制度にしまして、駅逓頭の前島密さんが、ひそかでなくて、名主さんとか庄屋さんが、制度が事実上残っていましたから、その人たちの協力が不可欠だということでその協力を得ながら、さらには、先ほども話が出ていましたけれども、豪農とか造り酒屋、醸造業、質屋といった地元名士
他方、郵政事業は、明治の初頭、先覚者前島密が、当時この分野で既得権を持っていた飛脚の人々を説得し、あるいは庄屋、名主や本陣など当時の地方名望家の善意に頼んで、粒々辛苦のうちに構築し、今なお国家財政と国民生活に深く根をおろした公共のシステムの一つであります。今回の法案による改革は、このような郵政事業百三十年の歴史を転換しようとするものであり、まさに画期的な改革ということになります。
国家というものがそこに、人間こうあるべしということで入っていくというよりも、教育内容の中に、もっと文化的なものとか、あるいは江戸時代が循環型社会であったとか、あるいは郵政のことでよく前島密から始まったとかいうが、僕はそうじゃなくて、飛脚の時代とか、そういう中に非常に日本文化というものは伝統的に深いものがあった、こういう認識をしているわけです。
それ以前から、飛脚により伝達されているとおり、この郵便事業というものは、人的資源への依存度が極めて高い輸送業であります。しかしながら、私も何度かこの委員会で質問させていただいておりますけれども、インターネットの普及による通信環境の変化、あるいはまた景気低迷による企業の経費削減の影響等によりまして、郵便物の伸び率がどうも鈍化しているようであります。
郵便事業は、英国のローランド・ヒル卿が発明したポスト投函を用い、全国均一料金を基本としており、江戸時代には飛脚しかなかった我が国にだれもが利用できる郵便制度を取り入れた前島密翁が明治四年に採用したものであります。 明治維新の先哲が近代国家の社会基盤づくりにいかに努力したかは、慶応義塾創立者の福沢諭吉全集緒言によっても伝えられています。このことは、郵便制度の持つ公共的性格を強く物語っています。
同時に、飛脚の時代、これも高く取られたでしょう、江戸時代を見れば。それを、低料金で全国どの国民も同じサービスが受けられる郵便局を考えたというのは、大したものだと思いますよ。そしてお金も扱う、秘密の文書も扱う。だからこそ、官に対する信頼が寄せられて、優秀な人材が国家に集まってきた。
ですから、今さら町の真ん中に住まなくてはいけないとかあるいは都市部ではどうだとかいうようなことでは、非常に、明治以来の、江戸の飛脚の時代から文明開化で発展してこうなったわけですから、原点に返って、その原点の意思というものは、みんなが平等にひとしく受けられるようにそういうことは絶対守ってほしい、たとえ民間がしようがどこがしようが。 それと、やはり信書の秘密というのは絶対にあります。
それは飛脚屋に頼むことかというふうに問えば、否とよ、パリにそんな飛脚屋はなし。町内いずれのところにも箱のようなものがあるゆえ、その箱の中に投ずれば手紙は自然に表書きの届け先に届くと言う。
○小泉内閣総理大臣 江戸時代の飛脚便に逆戻りするのではないかというんですが、当時は車もなかったんですよ。Eメールもない、携帯電話もない。それと今回の民間参入法案を比較してもらっちゃ困りますね。やはり、時代の趨勢に合わせて、いろいろな事業展開ができるし、民間の創意工夫というものがあったからこそ、日本の経済は発展してきたのではないかというふうに私は考えております。
○小泉内閣総理大臣 先ほど飛脚の話が出ましたけれども、飛脚は全国同じ値段で届かなかった。それを郵便事業として国が整備したから、安い料金で届くようになった。やはり、民間の役割と、民間のできない分野を国としてやっていくという大きな意義があったわけであります。そういうことで、この郵便事業が多くの国民から信頼され、親しく今日まで利用され発展してきた、その意義を私は否定するものではありません。
「郵便が創業される直前の通信制度に、飛脚便があった。」という書き出しで、そして、 明治四年に新しく登場した郵便制度は、それまでの飛脚便にはなかった事業内容とシステムで運営された。 飛脚便との違いは、「いつでも」「どこでも」「誰にでも」利用できる、「国の事業」として創設されたことが、まず挙げられる。
当時の飛脚の制度、それを廃して郵便事業が国家独占になっていった、その過程も書かれております。そのところの一文を読ませていただきます。 三〇〇年来、通信を世襲不動の営業としてきた飛脚業者にとっては、一番利益のある書状の送達の部分を政府がとり上げてしまうというのであるから、彼等がこれに反対し、激しく競争したのは、まさに当然であった。
例えば上水道もあったわけですし、飛脚なんて完全に郵便制度も東京を起点にしてあった。